誰がために
- 2010/06/26
- 01:19

人は、自分の中に原理原則を持っていないと、大切な選択の前に右往左往してしまいます。
私の場合、特に信仰している宗教もありませんので、それを武道の教えに求めてきました。といっても読んだ本を参考に自分なりの流儀をつくっているだけです。
武道家として「脅しの前に怯んではならない」とか「自己犠牲の精神」、「困っている人を見たら助ける」といったことを“行動”することです。
行動に移すのが難しいと思う時ほど「武道家でありたいとの思い」は効き目があります。
入国管理局の研修中に、若い職員がヤクザ風の男に絡まれてるのを黙って見てられず割って入ったのも、ロシアで在任中、伝染病の疑いで隔離された日本人を助けに行った時、相手を安心させるために思い切って白衣を脱ぎ棄てたのも、自分は武道家だとの思いからです。
空手が上手で黒帯してたら、やってない人からは、空手家とか武道家とか言われます。
でも、日本人が武道家に求めるのはそれだけじゃないと思うのです。
例えば、水戸黄門みたいに爺さんのなりをしてても(弱そうに見えても)、いざとなれば、悪を挫き、弱気を助ける正しい強さを行使する姿だと思うのです。
日常の中で武道家らしい潔さ、寛容さ、優しさを見せなければ。
宗家杯での勝利を目指して頑張っている選手のみなさん、せっかく国際の舞台に立つのですから、勝つことを目指すと同時に、武道家としてあるべき姿を心の中に作り上げ、そのように振舞ってください。一人一人が尊敬される日本人であることを意識して会場に立って欲しいと思います。
心を失くしたら武道ではなくなると思います。

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