物事を考えるとき、人はその人の体験したことや考え方のパターンというその人独自の
フィルターを通して考えます。それがその人の個性になります。
そのフィルターを効果的に使うとポジティブな人になるし、逆だとネガティブになるのだと思います。
私は、『道場』をそのフィルターに使います。
剣道で全琉(沖縄)一だった父の影響で物心ついたときから竹刀を振り回していました。
叔父さんに沖縄空手の達人だった人がいます。
その環境の中で5歳から剣道、高校から空手とずっと武道に携わってきました。
自分にとってとても多くの時間と思考を傾けたのが武道です。
そして空手では、世界の舞台で通用してきた実績があります。
このフィルターを自分の“強み”として『心の道場』に反映させています。
『道場』という空間は、まるで社会の縮図です。何かを学ぶという意味では、学校とも言えます。
道場で何を学ぶのでしょう?
私は、生きていくうえで役立つ“知恵”だと思います。
道場で『体験』として学んだことに当てはめて考える。
そうすると「知識」が「知恵」に変化します。
空手の競技には、大きく分けて「形」と「組み手」があります。
道場でもこのふたつを中心に練習体系が組み立てられています。
「形」は、正確な動きを作っていく、表現するといった点では舞踏に似ています。
相手の影響を受けませんから理想の動きを追求できます。
自分と対話しながら心と動作の歪みを修正します。
対して「組み手」には、相手が存在します。
しかも戦う意思をこちらに向ける相手です。どんなに強力なパンチが打てても距離とタイミングが
合わなければ、当たりません。
相手によって戦い方も変化します。臨機応変さが試されます。
この「形」と「組み手」の関係って『理論』と『実践』の関係に似てるなって思いました。
理論だけの人間は、頭でっかちって言われます。頭使わない猪突猛進タイプは安定感に欠けます。
空手では、「形」と「組み手」の両方が大事です。
組み手で壁にぶつかったら形(基本)に戻ってぶれた心と体の軸を正します。
形で練った心と技を組み手で試します。
私たちは、『理論』という“理想形”を学び日常という『実践』の中で生かします。
形を得意とする選手がいます。
組み手を得意とする選手がいます。どっちが凄いなんて比べません。
形を極めれば、芸術になります。組み手が強くなれば、自信がつきます。
私は、『輝竜館』で空手という護身術の技を学び指導しています。
もっと専門的に心を強くする技術(護心術)を学び、必要ある人に役立てたいとの思いから
『心の道場』を開設しました。
心の技術をちゃんと専門的に学び身に付けた仲間がいます。心強い仲間です。
これからは、自分が好きなことを生かして社会に関わることをしようと思います。